第22回シンポジウム:アピール文
【2017年4月11日 第22回シンポジウムにて発表】
わたしたちは、4月7日におこなわれたアメリカ合衆国によるシリア攻撃に強く反対します。
もちろん、化学兵器の使用は決して許されるものではありません。化学兵器によって傷ついた子どもの映像が世界を駆け巡り、世界の人びとには、さまざまな「感情」が生まれたことでしょう。しかし、「空爆下」の悲惨な子どもたちを救うため、という感情が、また別の空爆を生み出すことがあってはならないでしょう。「空爆下」の人びとの悲惨さに目を凝らすこと、そして、私たちの「戦争を忌避」する感情は、「空爆下の悲惨さ」を表象する文化によって、ともすると危うい方向に持っていかれないでしょうか?「文化」を読み解く眼が求められているのかもしれません。
化学兵器による殺戮行為については、まずは、国連を通じた事態の検証がなされるべきでしょう。そのような努力を一切せず、国連安全保障理事会による決議もなく、いきなりシリアを攻撃することは、明らかに国際法違反です。アメリカによるシリア攻撃は、法ではなく力による国際政治を加速化させ、国際社会をさらに不安定なものにするでしょう。
攻撃の数時間後、安倍首相は、アメリカの行動を支持しました。首相によるアメリカへの支持は、小泉首相によるイラク戦争に対する支持とは、意味が異なります。なぜなら、アメリカのシリア攻撃には、北朝鮮に対する威嚇の意味があるといわれているからです。実際、アメリカ軍の原子力空母が朝鮮半島周辺に向かったと報道されています。
このような状況において、わたしたちは、アメリカによる北朝鮮への威嚇が武力衝突に発展した場合のことを、いますぐ考えなければなりません。両国の間で軍事衝突が起きるとき、違憲の新安保法制が発動されます(これが「限定的」な集団的自衛です)。そのときこそ、北朝鮮から日本列島にミサイルが降ってくるでしょう。攻撃をすれば、反撃される。このあたりまえのことを、わたしたちは、どれだけ認識しているでしょうか。
しかも、新安保法制と有事法制は、アメリカによる軍事力行使を容易にしています。自衛隊は、アメリカ軍と共同して北朝鮮を攻撃し、日本列島は、アメリカ軍のための兵站基地と変貌します。通信、輸送、医療にかかわる市民は、戦争に動員されます。有事法制の一部である国民保護法が発動され、地方自治体も協力しなければなりません。このとき、すでにわたしたちは、隣の国と戦争をしているのです。人びとは「戦争の悲惨さ」を忌避しつつ「戦争を支えること」になります。そこにはすでに「理解しあう他者」はいず「戦争の惨禍をもたらす(とされる)「敵」」がいるのみとなります。
以上のように、新安保法制は有事法制と連動してアメリカの武力行使を促進し、わたしたちを戦争へといざなう危険な性質をもっています。予測不能だといわれるトランプ政権の下で、場合によっては、この最悪のシナリオが現実化してしまうかもしれません。いまこそ、日本は、憲法9条の理念にのっとり、軍事力による国際政治という危険なゲームではなく、対話によってお互いの安全を確保する方向へと舵をきらなければなりません。わたしたちは、この方向こそが、東アジアにすむすべての人々の安全を確保するための唯一の現実的な道だと強く訴えます。
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