第25回シンポジウム:アピール文
【2017年7月11日 第25回シンポジウムにて発表】
2017年6月15日、日本の刑法体系を根本的に変更する共謀罪が国会において成立した。衆議院の委員会における強行採決に加え、参議院では、委員会の審議を途中で打ち切る「中間報告」という卑劣な手法が使われた。日本の国会における実質的な審議は、委員会でおこなわれる。それを打ち切る「中間報告」を経た議院での採決は、「特に緊急を要する」(国会法56条)場合にのみ認められる。参議院ではたった17時間50分しか審議をしていない。それにもかかわらず審議を打ち切るだけの「緊急性」がどの程度あったのか、国民に対して全く説明がなされていない。
共謀罪が猛威を奮う社会になれば、民主主義社会の基盤は失われる。新安保法制は、平和主義のあり方を変更したが、共謀罪は、民主主義社会の根本を変更するものである。新安保法制も共謀罪も、両者が本格的に動き出せば、今とは全く異なる世の中になる。その重要な歴史的転換点において、このような卑劣な手法が使われたことには、ただただ驚愕するしかない。
共謀罪の制定に、このような卑劣な手が使われた理由は、森友問題、加計問題で、首相本人に近い人を特別扱いしたのではないかという疑いが、国会においてくすぶっていたからだといわれる。だとすれば、問題はさらに深刻である。日本が民主主義社会であり続けることができるかどうかの転換点になりうる法律案の審議を、首相が自己に対する疑いを国民に説明しないために打ち切ったということになるからである。
新安保法制、共謀罪、森友問題、加計問題が一本の線でつながっているのは、権力に対するチェックを喪失した社会において、権力は私物化されるということである。90年代の政治改革は、「政治主導」を重視するあまり、権力に対するチェックという視点を忘れていたのではないだろうか。わたしたちは、その一つの結果が、現在の政治状況であるということを、もう一度確認するところからはじめなければならない。
2017年7月2日におこなわれた東京都議会選挙において、自由民主党は歴史的な敗北を喫した。森友問題、加計問題に加えて、共謀罪の強行的な制定が響いたことはいうまでもない。ただ、東京都議会選挙においては、小池百合子知事が率いる「都民ファースト」という政党が勝利した。この帰結は、新しい政治勢力を次々と生み出しては消費していく、90年代以降の日本政治を象徴するかのようである。政治とは、いったい誰のため、何のための活動なのか、わたしたちは、もう一度、考え直す必要があるのではないだろうか。
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