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第42回シンポジウム:アピール文

【2018年12月11日 第42回シンポジウムにて発表】


憲法とは、多数決原理でなされる通常の政治過程の前提となるルールである。多数決の原理は通常の政治過程においては確かに有用である。しかしながら、多数決による決定が常に妥当な結果を導くとは限らない。憲法は、少数者を擁護し、多数者を抑制する側面を持っている。憲法は、多数者に支持された権力担当者が権力を濫用する危険性を抑制することにより、国家権力が可能な限り国民全体のために使用されることを意図しているのである。


憲法のこのような性格からすれば、その改正について、両院の3分の2の特別多数決が求められているのは当然といえよう。これは、要するに、国民全員のための規範である憲法の改正については、多数党だけで決めてはならないということである。


したがって、国会に設置された憲法審査会の議論もまた、すべての有力政党のコンセンサスの下でおこなわなければならない。これは、国民全員のための規範という憲法の性質から導かれるルールである。憲法改正の原案を審議する権限をもつ憲法審査会の手続を、通常の立法の手続と混同してはならない。野党が憲法審査会の開催を拒否しているのであれば、憲法審査会は開かれてはならない。


安倍首相率いる自民党は、憲法審査会の開催を強く求め、メディアの中にも憲法審での議論自体はするべきだとする意見がある。しかし、憲法審査会での議論の次に待っているのは、憲法改正原案可決であり、そこまでいけば、いよいよ国会による憲法改正の発議である。憲法審査会での憲法議論を、それ以外の場での憲法議論と混同してはならない。「議論をせよ」と「憲法審で議論をせよ」では、その現実政治的な意味が全く異なる。憲法審での議論は、憲法改正の発議という政治的決定に向かって手続を進めることを意味するのである。


したがって、真に問われているのは、議論をするかしないかではなく、自民党の提示する憲法改正に賛成か否かである。安倍政権下での憲法改正に反対する立場に立つ政党が、憲法審査会の開催を拒否するのは当然である。わたしたちは、「議論をすべきだ」という一見もっともらしい意見がもつ、政治的効果を見きわめる必要があるだろう。


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