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第45回シンポジウム:アピール文

【2019年3月12日 第45回シンポジウムにて発表】


さる2月24日に実施された辺野古基地建設をめぐる沖縄県民投票は、投票者の7割が辺野古移設に反対するという結果となった。


かえりみれば、陳情や基地反対運動、選挙結果など、いくどとなく示された「民意」を本土政府はことごとく無視し、そのあげく意思表示の機会さえをも奪おうとする動きのなかで示された結果であった。地域住民からの直接の意思表示を求める声は強く、ひとりの青年のハンストという身体をかけた訴えもそうした声のなかには含まれている。


何度でも繰り返される反対の意思表示は、その意思表示に込められた人びとの経験の重さと、その意思表示を無視し続ける権力の正当性の軽さを同時に照らし出すだろう。繰り返し表現される反対の意思には、広く深く沖縄戦の記憶や、生活のためであれ基地を、そしてそのことでアメリカの戦争を支えてしまっていることの痛覚が存在している。


防衛施設庁は、県民投票の結果如何にかかわらず辺野古埋めたて工事継続を決めていたという。また、八重山では着実に自衛隊の配備が進みつつある。県民の思いを「真摯に受けとめる」「寄り添う」ということばが空疎に響き、だからこそ「普天間基地返還の代替施設」「沖縄の基地負担軽減」は、本当に辺野古移設という選択肢しかないのか、という問いがあぶり出される。同時に、長野県において辺野古基地移設反対の意思をどのように受けとめたらよいのだろうか? 私たちには何が出来るのだろうか? こうした問いを考えていくことも、大学人の会に集う私たちの課題だろう。


今回のシンポジウムは改めて日本国憲法第9条の意義を問うものである。日本国憲法9条の意義と解釈は、東アジアの人びとに多大な犠牲を強いた戦争の反省と、戦後の日本社会の人びとの経験、諸外国からの期待などを受け止めてある一定の合意をかたちづくってきた。今後はそれをさらに発展させねばならない。


私たちがこのシンポジウムで学び、考えてきたことは、東アジアにおける具体的な安全保障は、関係各国・地域の相互理解の促進を基礎にすべきであり、そのためにこそ東アジアの歴史や、人びとの経験に目をこらすべきであるということであった。


昨年来の米朝首脳会談など東アジアの情勢は動きつつある。沖縄・辺野古、あるいは3月1日のソウルで、あるいは昨日3月11日の福島はじめ被災地で示された東アジアの人びとの記憶と意思を、このシンポジウム活動を通じて考えていきたいと思う。




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