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第47回シンポジウム:アピール文

【2019年5月14日 第47回シンポジウムにて発表】


2019年5月1日、新天皇が即位し、私たちは象徴天皇制のもとで2度目の「天皇代替わり」を経験することとなった。あわせて元号も「令和」と改元された。


1989年の「代替わり」と比べて、日本社会は「奉祝」ムードにあふれ、「新しい時代」を祝ぐ言葉と、新天皇・皇后および前天皇・皇后(上皇・上皇后)、さらには「平成流」と呼ばれる現在の皇室を賛美する言葉があふれかえった。一方、天皇制とは何か?それはこの国の社会に生きる人びとにとってどのように意味を持つものなのか?といった根本的な問いかけや、日本国憲法のもとでの「天皇のあり方」や国民主権、基本的人権の尊重という観点からの批判的議論はごく限られたものでしかなかった。


そもそも今回の「代替わり」は2016年8月、明仁天皇の国民向け「おことば」をきっかけにしている。202年ぶりの生前退位であり、現行の日本国憲法・皇室典範のもとで初めての退位であった。同時に重要なのは、日本国憲法上政治的権能を有しない象徴天皇が、みずから国民に直接意思表示を行い、現実に特例法が制定され退位が実現するという政治的実践が行われたことであろう。正否は国民のがわにゆだねられたのであり、象徴天皇制のあり方を自律的に議論していかなくてはならない時代にさしかかったともいえよう。


「代替わり」となっても、東アジアの情勢は予断を許さない状況であり、新安保法制下での自衛隊強化はさらに進み(特に八重山など離島)、辺野古基地建設は主権者の意思表示を無視して進んでいる。その意味で私たちは以前と変わらぬ時代を生きているということを再確認しておきたい。


わたしたちは、例えば沖縄、例えば水俣、あるいは被災地、「ハンセン病者」、戦争犠牲者、満州開拓団の犠牲者などの人びとの「思いに寄り添うこと」(2016.8.8天皇の「おことば」)を天皇にいわば「任せて」きたのではなかろうか? こうした関係のもとで尊厳を無視し、東アジアをふくめて過去の戦争犠牲者の想いを無視し続ける社会があるかぎり、わたしたちは「思いに寄り添う」という尊厳と人権尊重のもっとも基本的な営み、「人間らしく生きる」営みを放棄し、象徴天皇にゆだね続けることになるのではなかろうか?


「代替わり」をきっかけとして日本国憲法の原則に基づいて象徴天皇制について考えることは、新安保法制下における「人間らしい生き方」を問い続けることに他ならないのである。

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