第9回シンポジウム:アピール文
【2016年3月8日 第9回シンポジウムにて発表】
2011年2月、東京電力福島第一原子力発電所事故が起きたとき、わたしたちは戦慄するほどの恐怖を覚えたはずである。
あれからたった5年しかたっていないにもかかわらず、日本社会は大きく変えられようとしている。憲法13条の幸福追求権を侵しかねない原発を再稼働し、憲法9条の規範を無視して新安保法制を制定し、憲法53条で要求されている臨時会を開かず、政治的公平でないと自らが判断した放送局を停波処分にできると述べ、国歌斉唱をしないと決めた大学を「はずかしい」と非難する「非立憲」の政治がおこなわれているのである。
安倍政権は、次の国政選挙でついに「明文改憲を掲げるようである。しかし、憲法を守ろうとしない政権が掲げる「改憲」の帰結は、「市民の自由を守るために権力を拘束する高次の法」という実質的な意味の憲法の廃棄を意味するだろう。
野党5党は、「立憲主義の回復」を旗印に、選挙協力をすることで一致した。わたしたちもこれを歓迎する。しかし、同時に、立憲主義の回復を選挙で訴えなければならないという事態が、はなはだしく倒錯しているということも確認しておかなければならない。
選挙の結果がどうであろうと、日本国憲法がある限り、立憲主義は回復されなければならない。大学やメディアといった憲法によってその自律的活動が保障されている組織に属する専門職業人は、批判的市民とともに、立憲主義の回復のために努力しなければならない。ジャーナリストは総務大臣の「停波」発言に、大学人は文科大臣の「はずかしい」発言に抗議しなければならない。そうでなければ、大学やメディアは自らの存立の根拠を失い、その結果、日本社会は批判的精神を喪失し、そこに暮らす国民は不利益を被ることになるだろう。
立憲主義の回復は、批判的市民と専門職業人のこのような活動の先にある。
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